③のつづき
以下、私の記憶をたどったPMメモ。
(注・自分語り多くなります)
(PM、全てを記憶しようとするのは私には至難の業です。覚えようとすればするほど覚えられなくなっちゃうので、強く覚えていることだけ書き出します。)
「あなたを作っているものはなんですか?」
「いろんな自分があっていい」
「根本が同じだから
自分を見つめる時間が俺にもあるならあなたにもある」
「どんなあなたでもいっしょにいる」
「マカロニえんぴつがどんな風に変わっても一緒にいてね」
「約束しよう、果たせなくても約束しよう」
なんか、文字みただけでうるっときてしまうんですが…
根本が同じって言ってくれるのが嬉しい気持ちもあり、でもこちらから「同じですよね!」って言うのはおこがましい気持ちが…あったんです、この瞬間までは。今後おこがましいなんて言わないことにします。私のことだからすぐに忘れてしまいそうですが、何度でも思い出します。
私は自分を見つめる過程で、苦しくなったり情けなくなったり、どうにもならなくなって放り投げたり逃げ出したりする時があります。もしはっとりさんにも同じ時があって、たとえ悩んでる内容が違ったとしても同じ痛みがあって、その上で「どんなあなたでもいっしょにいる」と言ってくれるなら、こんなに心強いことないです。
(重いですか?ですよねすみません。でも正直に書きます)
あと「果たせなくても約束しよう」が私の中ですごく響きました。私は元々「約束する」っていうことが本当に苦手でした。だって必ず守らなきゃいけないと思ってたから。
(自分が薄情に思えてTwitterに書けなかった。苦笑)
私は約束を守れるだけの人間ではない、そんな自信もない、だったら最初から約束したくない。そんなことを子供のころから思ってました。勇気だして遊ぶ約束をすることもあったけど、約束を守ることで頭が埋め尽くされてしまい、極度のプレッシャーを感じていました。
約束に対する考えをいつから変えたのかは覚えてないんですが…「何が何でも守る」ってことに固執するんじゃなくて、「この人と話してみたい」「この人と仲良くなりたい」「会ってみたい」その気持ち一点に焦点を当てて、大事にすれば良いんじゃないかって自分なりに気づいてからかもしれない。
「会いたい」っていう気持ちは嘘じゃないんだから、そこに蓋することない。結果、たとえその人に会えなかったり、約束が守れなかったとしても、まずは自分の手を相手に向かって伸ばさなければ何も始まらない。
(会った後でなんか思ってたのと違うとか、嫌われたりとかはあると思うけど、それはまた別の話)
長々自分の話書きましたが、こういう風に自分のことを振り返られるきっかけをくれるはっとりさんに、マカロニえんぴつに出会えて良かったなと本当に思っています。
最後に「君といる時の僕が好きだ」と言ってうっかり別の曲に行こうとするミスをやらかしたはっとりさん、よっちゃんのところに行ってうなだれてて非常に和みました。よっちゃんがひたすらドンマイドンマイ、て感じで両手ではっとりさんをポンポンってなだめてた…尊
次の曲はなんでもないよ、じゃなくて【悲しみはバスに乗って】です!!笑
⑤へ続く