サリーのほら穴

いちマカロッカーがひとりごとを綴るブログ

内面への旅

つい先ほど、マカロニえんぴつが大阪城ホール&日本武道館のワンマンライブ開催を発表していました。

題して【TRIP INSIDE 〜Osaka-Jo Hall & Nippon Budokan〜】

TRIP INSIDE…「内面への旅」てことですよね?マカロニはいま現在「鈍行ツアー」の真っ最中ですが、日本各地を周ったあと、次の旅先は自らの内面ということなのか…?と私は解釈して胸が熱くなってしまい、そのまま武道館公演申し込みました。2DAYSのどちらか当たっていてほしい。

 

 

このタイトルを聞いて、思い出した言葉。

「どんなに遠くに旅をしても、その距離だけ内面へも旅をしなければ、どこへも行きつくことはできません。」(リリアン・スミス)

 

(いろんな方の格言を調べていたときに見つけた言葉)

 

私は過去、自分というものがいったい何なのか分からなくて苦しくて、でも何か見つけたくて、手当たり次第に習い事をしてみたり本を雑多に読んでみたりいろんなものに手をつけて、とにかく自分の外側にばかり目を向けていました。自分の外側にこそ答えがあると思ってた。で、しばらく経つと全てに疲れ果ててぜんぶやめてしまうという状態でした。

自分の内面への旅が圧倒的に足りてないというか、目を背けて避けていた自分の内面こそが大事なのだと気づいたときはショックでした。

自分の中身なんて見たくなかったです。苦しいし怖いし。

 

でもそのあと観念して(笑)、いまこうしてちまちま書いてるブログも自分を見つめるための一環です。書くことである程度自分の中身を整理してる。

(文章は整理されてなくて読みづらいけども。苦笑)

自分の中身は絡まって固結びができまくってる長い糸みたいな感じです。しかもハサミで切れないからやっかい。ひとつずつ結び目をほどいていくような作業。

 

 

最近思うのは、もっと外部との交流を増やしたほうが良いなということです。これは外側への旅だけど、過去にやってた闇雲な旅の仕方とはちがう。交流というのは、表面上の社交辞令とかではなくて、自分の中身をもう少しだけ開いて相手に見せてみるということです。自分をもう少し開く勇気。かといって相手にいきなりご開帳するのは失礼だしびっくりさせてしまうから、そこは気をつけよう…

 

外側と内側、バランスとるのは下手だけども、なんとかやっていこう。と思った。

 

 

 

 

 

言葉にできないもの

何かを見て受けた感動とか湧き上がったいろんな思いを相手に伝えたくて、私が何を思っているのかを目の前の人に説明したくて、言語化を試みる。

そうやって言葉にして形にすればするほど、むしろ形にならなくて手のあいだをぐにゃぐにゃすり抜けていくような、言語化できない思いがある。

言語化できないものの正体が何なのか、自分でもよく分からないから形にできないんだろう。言葉にならなくて、やっと声に出せたとしても「あー」とか「うー」とか、言葉ではない呻きとか叫びみたいな声。

 

言葉で説明できるものを誰かに話したり伝えたりすることは、私は良いことだと思う。それがコミュニケーションにつながるから。

それに言葉にすればするほどむしろ、相手に伝わらない正体不明のどろどろしたものの存在を自分の中にはっきり確認できるような気がするから。

 

なんか、音楽って、こういうどろどろしたものを表現できるのに向いてるのかな?って思った。

だから音楽きいてると、訳もわからず笑っちゃったりよく分からない涙がでてきたり、わー!!て叫びたい気持ちになるのかなぁ。

 

ぐちゃっとしたものをそのまま投げつけたらただの泥団子だけど、そこにいろんな音色があってリズムがあって声が乗って音楽になったら途端に素晴らしいものになるなぁって思いました。

 

 

さっきまで用事を片してて夜更かししてしまった。頭がぐるぐるしてきたので、せっかくだから(?)ブログに言葉にして乗せてみた。(文章へただけど)

眠くなってきたので寝ます。

 

 

 

2024・春分(数日すぎた)

春分の日にブログ書こうと思ってスマホに向かってたらいつの間にか寝落ちしてて、さらにいつの間にか数日すぎてました。(だめじゃん)

 

3/23からマカロックツアーvol.18始まりましたね。私は6月28日の札幌ライブに行きます。3ヶ月先か…長いようだけどきっとあっという間な気がする。ライブの日を迎えるまできっといろいろあるだろう。とにかく無事にライブに行けたら良いし、マカロニやマカロッカーの皆さんに無事に会えたらそれだけでOK。

 

でもできたら、今よりも少しはコンディション良くしたいなぁ。ライブの空間にいると、良くも悪くもその時の自分の状態が出ちゃう。気負ったら気負ったままの自分が出るし。だからできればあまり何も考えないで、良い状態で札幌に行けたらいいな。

(もし死んだような顔してたら察してください)(何をだよ)

 

今日は本当に何もないな。

あ!今日はやけに月がでかかった!

「I love you.」=「今宵は月がきれいですね」という日本語訳が有名ですが、

「今宵の月はでかいですね」はいったい何の訳になり得るのでしょうか。訳しようがないよね、ただ思ったことそのまんまツイートしただけで風流さのかけらもなかったな。笑

「きれい」と「でかい」を言い換えるだけでこうも違うんですね。

 

寝よっと

 

※ちなみに3/25は満月だそうです

月へ行こう

マカロニえんぴつの最新リリース曲。ついさっきMVが公開されて、この曲へのイメージがまた広がった。いろんな人の感想を読んでまた新しい発見があったり。YouTubeのコメント欄で空の白さを「空白」って解釈してる方がいて、すげー!って唸りました。(え?もしや私だけ気づいてなかったのかな?汗)

 

MVみて浮かんだことや感想をつらつら書いてこう

 

・まず景色が好き。こういう彩度の低い冬枯れの景色。寂しい感じもするけど、その中に鮮やかな色が入ったりすると際立って綺麗にみえる。主人公の赤い服の色とか、最後の赤い空の色とか。そう考えるとモフモフの子の色はこの景色に馴染んでいるな。モフモフの子はこの土地の子、ここに住んでる子なのかな。

・主人公はモフモフに心許してる感じで、きっと「きみが悪魔みたいなやつでも僕には関係ないよ」ってモフモフは受け入れてくれたのかな。モフモフと一緒に過ごすことで主人公はだんだん元気を取り戻していくけど、その過程で自分の行くべき場所(もしくは帰る場所)に気づいてしまう(もしくは思い出す)

・主人公は行くべき場所へ行く、モフモフはそこに行くことはできない。住む世界が元々違うんだ、このふたりは。楽しくて心安らぐ時間を共に過ごしてわかり合ったつもりのふたりだけど。でも一緒に過ごしたからこそ、モフモフは優しく主人公の背中を押して送り出すことができたんじゃないかな。

・わかり合ったつもりでいていいのが愛だと知った主人公の表情は少しの笑顔と寂しさが同居していて、わたしは観てて切なくなってしまった。だけど、短い間でも大切な存在に出会えたことは本当に幸せで嬉しいことだとも思った。出会えたからこそ主人公は次の場所へ向かう力が生まれたんだよね

・主人公がはっとりさんと似て非なる見た目だったことで、すごくイメージが広がった気がした。モフモフに頭をくっつけるシーン、motherのMVに一瞬オーバーラップした。モフモフ、安心感ある。できることならずっと一緒にいたい。

 

 

いろいろつらつら書いてみて思ったのは、別れの辛さはもちろん怖いけど、この人に出会えて良かったっていう喜びや嬉しさは自分を想像以上に生かしてくれるんだなってこと。別れることを必要以上に怖がらなくていいのかな、って思いました。

別れるの怖いけどね。でも広く考えたら生まれた瞬間から別れは始まってるんだよね。

 

日付変わっちゃったので寝ます。笑

 

追記・いろいろぐるぐる思いを巡らせて疲れて眠って、翌朝ぜんぶ忘れてるか余韻が少し残ってるくらいがちょうどいいかなって思う(でもブログに残しちゃってるから後でみて恥ずかしくなるやつ)

素敵な偶然

今日、映画「FLY!」を見てきました。カモ一家をはじめ、登場するキャラの表情・動きが本当生き生きしてるし可愛い!グウェンちゃん妹にしたい。カモ達から見たいろんな風景の移り変わり、スピード・臨場感も最高!!私が飛べたら同じ景色を見れるのだろうか。

 

可愛くてコミカルだけど、セリフとか感情の葛藤の描写がグサっと心にささる部分もあり、思わず目の端から涙でました。

 

「私は誰と一緒に飛びたいのかな。誰にそばにいてほしいのかな。今はひとり?どこに行きたい?目的地は決まってる?ずっとここにいる?羽は持ってる?それとも折れてる?新しい代わりの羽は見つけられた?」

映画見ながらいろんな思いがよぎりました。

 

 

ブログを書いているとき、自然と自分の中身を掘り下げざるを得ないんですが、そうやって自分の中から掘り出してみつけたものと同じものを、映画の中に偶然発見することがあります。(言い回し難しいな)

 

映画だけじゃなくて、例えば音楽もそうだし、好きなミュージシャンのインタビューを読んでたら偶然自分と同じ単語や言葉を使っていたりとか。

私はそういう素敵な偶然に出会えたときにすごく嬉しくなるし、心の距離が近くなったように思えて心強くなったりする。

 

実際に会いに行ったりして、物理的な距離を縮められることももちろん大事だし、目の前で会えるの嬉しい。けど、こうやって自分を掘ったときにしか縮められない距離もあるんじゃないかと思っている。

 

思い違いとか妄想って言われたらそれまでなんだけどね。

 

(追記)映画のキャラクターで私にいちばん近いのはマックだなと思いました。怖がりで疑り深いところ。

 

なにもなくても

ブログ書いてみる。

 

何か特別なことが無いと、何かが起こらないとブログ書いちゃいけないっていう決まりは無いのになぁ。いつの間にか自分でブログ書きづらくしちゃってるね。ここは自分の息抜きの場所だったはずなのに。

 

本当は何もないなんてことは無くて、毎日何かしら思ってるし考えてる。「あ、これ、ブログに書こう」と思った瞬間に書けばいいんだろうけどそれが出来なくて、一日たてば前日に頭に浮かんでたことは鮮度が失われていて、今日の考えは今日限りの鮮度で浮かびあがってきて、次の日には次の日の考えが出てきて…

 

結局いま思ってることをいま書くのがいちばんなんだ。

(だから本来はライブレポは苦手の部類で、最近は振り返りの感想になってる。新鮮な感情はTwitterにぶつけがち)

 

マカロニえんぴつの新曲【月へ行こう】を、さっきまでずっと繰り返し聴いていた。聴いてるうちに「嵐の番い鳥の2人がこんな景色を見ている世界線もあるな」って思えてきた。

(“嵐”とか“羽”ていうワードからふと連想した)

バイオレットではなく白い世界線

 

私はどうしても無意識に物事を重く重く捉えがちで、別に重くても良いとは思うけれども、自分が歩けなくなるほどの重さで地面にめり込んで、それで終わらすの、何だかもったいないなぁって思えてきて。

 

重さは強さだと思っていた。でもそれは自分自身をうまく使いこなせていればこその話じゃないか?

強い心より軽い言葉を持って、ためしに飛んでみたらどう?ってマカロニえんぴつが言ってくれてるような気がする。

たましいの居場所でもきっと、そういうメッセージをくれていたというか受け取っていたと思うんだけど。私が忘れっぽくて分からず屋、もしくは怖がりなんだと思う。音楽は常に私をノックしてくれてるのになぁ。

 

マカロニが言う「軽い言葉」は信用してる。だってマカロニ自身は軽くないから。軽くないっていうか、スカスカの中身の無いものでは決してないから。ファンの見えないところでたくさん大変なことはあるだろうし、音楽を生み出すためにいろんな試行錯誤があるだろうけど、重さを感じさせずに軽やかに手渡してくれるかんじ。

(重たいものをそのまま渡されるのも好きではあるが、私に心の腕力が無さすぎるときは共に地中に沈んで地上に戻れなくなる。笑)

 

信用してるなら、受け取るだけじゃなくて、ためしに使ってみたら?わたし。

 

OKKAKE限定ライブ

2024.2.29、KT Zepp yokohama、マカロニえんぴつのFC限定ライブ。私は配信でライブに参加していた。レア曲のオンパレード、客席はファンクラブメンバー(OKKAKE)限定、会場はライブハウス。盛り上がらないわけがなく、配信で見ててずっと熱くなりっぱなしだった。途中で部屋の暖房切った。OKKAKE愛、マカロニえんぴつへの愛が画面越しに伝わってきた。

 

でも、本当は画面の中にダイブして、現地にいたかった。

今回のライブに行かないことを決めたのは私自身で、今回は配信で見ると決めたことは自分で納得している。してるんだけども。

ライブ見てたら「なんで私は配信で見てるんだ?いや、配信してくれることはとてもありがたいし本当に嬉しい。会場に足を運べないファンにとってこの上なくありがたい。だが何故私はこの観客席にいないんだ?」

って思っちゃった。泣

 

シンガロングも、アンコールのOKKAKEも、画面前で声出して歌ってましたよ?でもやっぱり、現地にいたくなった。

 

OKKAKEライブは外から眺めるんじゃなくて、中に入りたい。

OKKAKEライブに行くという新たな目標ができました。

 

 

マカロニえんぴつを聴いてる時、情けない自分自身をたくさん発見してしまうことがある。

約束より言い訳を集める自分

「本当にごめんねこんな僕で」と一生懸命謝ってる自分

逆の立場で、たくさん謝られて「そんなに謝ったって遅いんだよ!うるさいバカ!」と怒り泣きしてる自分

(きっとまだまだある)

 

だから、マカロニえんぴつと一緒にいるときの自分が輝いてるかどうかは私自身にはわからない。隠してた弱いところが表に出てくるし、涙もでてきてぐちゃぐちゃになることもある。

輝いてるように見えるとしたら、それはマカロニが音楽で照らしてくれるからです。

 

弱い部分って、普段は隠していたり人に見せなかったり、時には他人から「そんなの捨てちゃいなさい」って言われたりする。でも捨てられず、握りしめてみたり持て余してみたり。

 

でもこの日のライブみたく、弱い部分に光を当ててくれるからちゃんとその姿を見つめられる気がするし、音楽に乗せてくれるから救われてるところがある。

 

こんな弱い自分ですが、弱さを抱えてまたマカロニえんぴつのライブに行こうと思います。

 

マカロニえんぴつに会いたいので、マカロニえんぴつも、はっとりさんも元気でいてほしいです。元気じゃなくても生きて、またライブで会いたいです。私だって、自分の行くライブが全てです。

 

PMで吐露するはっとりさんをみて、そう思いました。

 

 

今日は最高のライブありがとうございました!おやすみなさい。