サリーのほら穴

いちマカロッカーがひとりごとを綴るブログ

千切っては投げ

とにかく紙に書いて千切って捨てる。頭に溜め込まないで書きたくなったら書いて捨てる。今日の思いは今日のうちに。(寝るまでが今日)

書いたものを取っておいたら明日の自分がきれいに推敲しちゃって別物になってしまうから、やっぱり今日の形をしたまま捨てるのがいい。明日の自分に持ち越すな。

 

というか、これ書いてる今まさにこの瞬間も数行まえの文を推敲しようとしてる。こんなこと書いちゃいけない、またこんな情けないこと書こうとしてる、ダメだ、直さなきゃ、読みやすいようにしなきゃ、、、って現在進行で考えてしまってる。

 

ダメだ!店じまい!

店じゃない、今日のブログおしまい!

 

 

来週の自分へ手紙を書く

暇つぶしにSNSをいろいろ見ていたらとある投稿が目に入った。「週に一度、来週の自分に手紙を書く。書いたら読み返さない。ただ書くだけ。なりたい自分を書いて、見ない。そして翌週また書く。これは"意図を持って手放す"という行為で………」(その先は失念)

 

「未来の」じゃなくて「来週の」という設定がちょうどよくて面白そうと思った。それに過去の自分へ話しかけることはあっても来週の自分に話しかけることはあまり無かったと思う。先ほど手紙を書き終えた。(実は先週も書いたのでこれで2回目)

 

「書いたら読み返さない」というルールだけど、いまちょっと読み返している。来週への自分への手紙は期待と励ましと慰めと押し付けと説教で出来ていた。こうやって目の前の紙に書き出して可視化すると、私ってこういう人間なんだなぁと苦笑いしてしまう。そんなつもりじゃなかったのになぁ…

はじめは優しさのつもりが、だんだんと押し付けになっていく。楽しくて始めたことが、だんだん義務化して苦しくなっていく。

 

読み返していて気づいた。あぁ、読み返してたらまたこうやって自分に対して評価が始まるんだ。そんでまたひとり反省会が始まるんだ、めんどくさいな自分。

 

ちなみに先週は手紙を書き終えた直後に破いて破棄した。とてもスッキリした。笑

ルールでは一応「読み返さない」ことになっているけど、どうせ私は読み返すだろうから破って捨てるくらいが良いのかもしれないな。いま破いて捨てました。

 

「意図を持って手放す」ってこういうことなのかな?長く持ちすぎてると軽かったはずのものまで重く感じてしまう。それは本意じゃない。空に返すつもりで破棄する。マカロニえんぴつの言葉を借りるなら「空に埋めよう」てことかな、どうだろう。

 

手紙を破棄したからといって自分の中から思いが全て消え去ったわけではない。来週の自分への思いが余韻としてかすかに残ってる感じはある。それくらいで丁度いいのかも。

 

自分への期待または失望を、過剰なぶんだけ手放す。ニュートラルな自分でいるって難しいな。疑うことも信じ過ぎもしない、ていうバランス。常にどっちかに振れている。ルート16を真っ直ぐには運転できてなくて、実際は右往左往して進んでいるのかもしれない、なんて考えたりして。

 

なんだか一日の終わりに分析して疲れてしまった。笑

寝ます。

 

 

自分の形

「もっと自分の身体を信じなさい、頭ばっかり使ってないで」

と、人に言われたことがある。(もうだいぶ過去の話)

頭で懸命に考えた理想を無理やり身体に押し付けて動かそうとしていた。でも頭とは裏腹に身体は全然動かなかった。(そもそも頭も健全に作動していたとは思えない、いま思うと)

 

先ほどアニメ「ワールドイズダンシング」の3〜4話を続けて観た。観終わったあとの勢いに任せたブログはやめようかなぁと思いつつ書いている。別に間違ったこと書いても良いか、とちょっと開き直っている。明日にはまた別の思いが浮かびあがるだろうから、今日は今日思ったことを書こう。

 

1話を観たあと「白拍子の舞は人に見えなかった。人以外のものになりたいのか?」という感想を書いた。今思うのは、白拍子は馬になりたいわけでも鳥になりたいわけでも人になりたいわけでも無くて、ただ白拍子になりたかったんだと思った。あれは自分の形を掬いあげた舞だったんだと。

 

このアニメを観ていると「あなたはどう?」と問われている気持ちになる。

「私は自分の身体を全然使えていないし、頭でっかちだし、自分の形を外に探してばっかりだな。自分の形は自分の中にあると、まだまだ信じられていないんだ。いや、別に信じなくてもいいから、自分の中に潜って掬い上げることをもっとやったらいいんだよ」

と自分が自分に語りかけている。

 

今日久しぶりにひとりカラオケに行った。今日はいつもより声がスッと出て気持ちよかった。ここ最近はなんか「うまく歌おう」なんて力んだりして喉を痛めたり身体がこわばったりでダメだったんだけど。今日はただ、息を吸って吐いて、歌詞を話すように歌うようにした。それが良かったのかなぁ。

趣味のカラオケだけど、なんか自分のメンテナンスの一環みたいだった。今後カラオケの時間もうちょい増やそうかな。

 

鬼夜叉が「まぐわいはいいものだな」って言ってたけど、自分が自分とまぐわえばいいってことで、自分に落とし込めばいいかな。

 

よし書いた、寝よう

 

 

 

 

 

 

 

ミント

ご近所の方からミントをいただいた。庭先で育っていたものをまとめて刈ったものだそうで、たまたま出くわした帰宅途中の私に数本お裾分けしてくれた。仕事帰りのむさ苦しい私に突然の爽やかな贈り物。嬉しい。ありがたくいただき、気分よく家に入る。


さて…これをどうしようか。貰った時点で何も考えていなかった。とりあえずペン立てに水を入れたものにミントの茎を浸けた。よく見るとそれぞれ葉や茎の様子が違っている。ミントはミントでもそれぞれ違う名前のミントらしい。こっちの葉は尖ってるけどこっちの葉は丸みがあったり、産毛が生えてるのとそうでないものがあったり。


観賞用にすることにした。テーブルに置いたときの見映えもいいし。
しかしこのまま水に漬けておくだけで良いのかちょっと不安になったのでいちおう調べたら、水に葉が浸かったままだと水の腐敗につながるので、その部分の葉は切ったほうが良いとのこと。数枚のミントの葉が採れた。清々しい香りが漂う。この葉っぱどうしよう。


たまたま数日前に購入した耐熱ガラスの透明なマグカップが目に入った。これ使おう!水で洗った葉っぱをマグにワサっと入れ、沸騰したお湯を注ぐと一気にミントの香りが立ちのぼる。そこに適当な皿で蓋をして蒸らす。マグの中で葉っぱの緑がより鮮やかになる。湯が色づいてきた2〜3分後、蓋を開けて即席ミントティー完成。


お…オシャレだ……!我ながらオシャレなことしてるなと自分にびっくりしながらミントティーを啜り、ペン立てに生けたミントを眺めていた。

 


ふと中学生のころを思い出した。当時、鉢植えのミントを誰かから貰ったときのこと。「ミントは強いし育てやすいよ」って言われてた気がする。なのに結局私はそのミントをダメにしてしまった。「枯らしちゃダメだ」という思いが強すぎるあまり水をやり過ぎてしまったのと、気づいたらアブラムシがびっしりくっついてしまって、いろいろ対策したけど気づいたらミント自体がひょろひょろに弱ってしまっていた。結局、そのミントは大人が処分した。強いはずのミントを弱らせ自分で育てられずダメにした挙句、自分で処理すらできなかった。当時けっこう落ち込んでいたと思う。

 


いま私の目の前にあるミントの茎は力強くて太く、葉っぱにも張りがある。そして時間が経つごとに茎は角度を変えてどんどん光の方へ向いている。切られているとはいえ、生命力に溢れている。


別に私は過去の失敗のリベンジをしたいわけではないし、何より目の前のミントは私の過去など知ったことではない。ただ力強く生きている。


このミントを私はこれからどうしようか。とりあえず、このミントから根っこを生やしたい。水をこまめに換えていれば数日で生えてくるらしい。根が生えたら土に植え替えて、そしたらたくさん葉っぱ収穫できるかなぁ。
まずはやってみようと思う。

 


なんか今日は日記ぽくなったかな

 

人はなぜ舞うのか

アニメ【ワールドイズダンシング】の第一話を先ほど観終えて、茫然としてました。頭にガーーーンと何かをくらってしまって動けなくなってる。すごいアニメだ…。よい…。

マカロニえんぴつファンの私はもちろん、マカロニえんぴつが主題歌というきっかけで初めてこの作品に触れたんですが。なにか「この作品に触れちまったら最後」感がすごい。

この後0時に主題歌【終宵】が配信リリースされるので、その前にいまの感想・感情を吐き出さねばと思って急いでここに書き残す。

 

 

人はなぜ舞うのか?という問いかけ。

馬は速く走るためのかたちをしている。鳥は飛ぶためのかたち。では人間は?人間は、舞うためのかたちをしていない。

では、鬼夜叉が白拍子に導かれてたどり着いた小屋で見たあれは何?何のかたちをしている?人らしき塊が伸びて飛び跳ねて、まがってくねって、一本の線となり影となり、、、あれは人か?私には人のかたちには見えなかった。

人はなぜ舞うのか。

人じゃないものになりたいから?

人が舞うためのかたちは、人では無い?

 

「頭(かしら)が舞うと、世界が変わる」と石也は言った。鬼夜叉と一緒に遊んでいるコガネは「みんな世界に飽き飽きしているんだ、踊らないとやってられないんだろ」と言ってた。人はなぜ舞うのか。別の世界に行きたいから?

白拍子を目撃して走り去る鬼夜叉と同じ感想で「何もわからない」って私も思った。

 

私はアマプラで観ていたので、本編のあとにマカロニえんぴつの【終宵】がOP映像とともに流れた。頭がチカチカして、音楽と映像と筆の文字が入り混じりながら、全部が舞のように私に飛び込んできて、ちょっと頭がぐるぐるしている。

 

ぐるぐるしながらも頭のなかで確かにチカチカしている「よい」を、見失わないで。それがはっきり何かわからなくても、誤魔化したり覆い隠したりしないでね。と自分に言い聞かす。

 

 

 

 

 

 

 

2026夏至

届かない手紙の行き先ってどこなんだろう。手紙ですらない、誰かに向けてすらいない、ただ想いを走り書きしたメモ紙をその辺に置いておいたら、誰かが拾って読んでくれるんだろうか。

そんなことをなんとなくボーッと考えていた。

 

自分の中にとどめておくには大きくなりすぎてしまった(または持て余してしまった)想いは自分の外に出すほか無くなってしまった。で、書く。そこでその紙を捨てればいいのに、わざわざどこかに置いておく。きっと心のどこかで、誰かが拾って読んでくれることを期待している。誰かに伝えたいわけじゃない、ただ知っていてほしい。返答なんてもちろんいらない。ただ、ほんのひとときでも誰かに手にとってほしい。別にそのあとは捨てようが置き去ろうが好きにしてくれていいから。

 

手紙は個人的なメモと違って、誰かに伝えようとして書くものだと思う。ただ、伝えたい人に直接渡せない何らかの事情や理由がある場合、その手紙はどうするのか。どこに投函するのか。

掲示板だったり、好きなラジオパーソナリティの番組に送ってみたり、SNSで呟いてみたり、何かの創作活動で表現してみたり。それが他の誰かの手元に渡ったとしても、巡り巡って届けたい人の元に伝わるかもしれない。そんな少しの期待。

 

期待って、希望に変わることもあるよなって思う。誰かが手にしてくれたかもしれないメモ。伝わらないかもしれないけど、伝わるかもしれない手紙。

かもしれない、という期待は生きる希望になる。

っていったら大げさかなぁ、でもけっこうそう思ってる。

 

なんだかまとまらないけど、このブログも私にとってはほんの小さな希望になっている。

(ほぼ走り書きメモ同然のブログ)

 

そんな夏至

感想ってむずかしい

はっとりさん(マカロニえんぴつ)がFCに上げていた文章が素敵だったのですぐに感想を書こうとしたんだけど、私の文章はとにかく長くなりがちで、要点をまとめるということが私はとにかく苦手だ。FCの感想フォームに脳内そのまま文字を打ってしまうと物すごく助長になってしまいそう。それはまずいので、まずはつぎつぎ雑多に湧き出てくるワードをメモ紙に書き出し、似たような内容を繋げたりあるいは削除したり、順番を入れ替えてみたりする。そうやって自分なりにまとめた感想文を先ほどやっと送信した。

 

でもほんとは、脳内に浮かんだことダラダラ書きたい!削りたくない!編集したくない!というのが本音。でもそれだと読む側が読みづらくて困ってしまうから。相手の負担を減らせるように、負担の無いように手に取ってもらえるようにするのはコミュニケーションとしては大切なことだとも思う。下手なりに。

 

 

削っちゃった部分はどうしようか。宙ぶらりん。せっかく自分のほら穴(ブログ)あるんだからここに投下しちゃお〜〜〜!!(急にどうした)

↓↓↓

 

・心地よい晴れた日に部屋から一歩も出ずダラダラ緩みまくる時間は気持ちいいし、最高に無駄に過ごしてるなぁという罪悪感?背徳感?がありつつもある意味贅沢な時間だなぁと私も実感します。日陰から見る明るい場所が好きです

 

・明るい日に映画館行くの好きです。明るい場所→暗い映画館→観終わったあとの外の眩しさとか感じるのも好きだし、暗い内容の映画を見終わったあとの屋外の心地よさとのギャップ、身に沁みるような眩しさが味わい深かったりします

 

・「群れず集まる」の文章をまた読みたくなりました(グレイプバイン田中さんの文章)

 

・中島らもの本、また読もう。こうしてまた積読が増えてゆく。でも「課題図書」みたいに義務化するのは嫌だなぁ、

 

・コーヒーは温度変化によって、感じられる味わいや香りも変化していくので、違いを楽しむ余白を持ちたいと思いました

 

・先日映画を観終わったあとにすごく熱くなって、感想も熱々になった。観終わって数日経ったいま、少しずつ熱は冷まされている。観終わった直後にかけられた魔法は解けてしまったのか?薄れてしまったのか?もしそうだとして、それは悪いことなのか?人間常に熱々のままではいられない、それは不自然だと思う。むしろ少し温度が冷めたときに自分のなかに残っているもの、変化した香り、そこをむしろ味わってみるべきではないか。ちなみに映画のフライヤーは部屋に飾っている。観る前と観たあとではなにかが確実に変わっている。と思いたい。

 

・コーヒーのみながら書いてるような文章好きです

 

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感想じゃなくてもはや自分語り。書いてる途中でさらに加筆修正しはじめてしまいました。だめだこりゃ。こんなの送れませんね(あたりまえ)

 

ここに吐き出したので、寝ます。