サリーのほら穴

いちマカロッカーがひとりごとを綴るブログ

近況

近頃書きたいことが溜まりぎみ。本当は落ち着いて書きたい気持ちもあるんだけど、放っておくとそのまま日々に流されていってしまうので、ここらでいったん箇条書きにしちゃう

 

・先日もらったミント、脅威の生命力。根っこたくさん生えて、そこから新芽もたくさん生えてきてる。土に植え替えたいがまだやってない

 

・GRAPEVINEのライブに行ってきた。ワンマン初めて。踊った。躍った。あとでゆっくり感想書きたいな…

 

・やよい軒初めて行った。栄養バランス良い感じ。また行こう

 

・ちいかわの映画みた。これがもし実写映画だったら…と考えたら最高にホラー

 

・マカロニえんぴつのアリーナライブが楽しみなので、せっかくだからライブの日まで毎日何かすることにした。それは夜更かししないこと。シンプルな目標設定(続けやすいから)。実践したら体調が良い(そりゃそうだ)なんでもっと早くこうしなかったんだろうというレベル

 

・来週の自分への手紙、地味に続けられている。昨日もルーズリーフに思うまま書いていた。その中に「今ここ以外のものに惑わされるな」って書いてあった。(自分が書いたんだけど)

今ここを大事にする、それはそう。ただ、それ以外のものに振り回されたり惑わされてる瞬間が多いなってふと思った。どこからか流れてきたもの、誰かからの伝聞、一部分だけ切り取られたもの、それだけで全てを判断するなっていう自分への戒め。自分が直接見て聴いて感じたものをもっとちゃんと信じなよっていう。

 

最後の文をなんだか今言いたくてこのブログ書いたのかもしれないな

 

夜更かしになっちゃう前に寝る!

 

 

運命さがし②

「こんな気持ちにまたなれるなんて」っていう瞬間に何度も出会いたいし、さがしに行きたくなる

 

ツイッターでこう呟いたあと「さがしに行きたくなったのなら実践だ。さて何処にさがしに行こう?」となった。

闇雲にでたらめに遠くに行くのはもうやめた。思いついたことをリストアップしてストックしておいても(私のことだから)どうせ忘れてしまうか面倒になって遠ざけてしまうな。じゃあどうしよう?

 

今まさにやってることを、ちょっと丁寧にやってみる。もしくはいつもと違うやり方でやってみる。これが結局効率的で私にとって良いんじゃないかと思った。(キュンキュンするような出会いに直結するかどうかはさておき)

さっきまで洗顔歯磨きしてた。少し優しくやってみた。いまスマホで打ってるこのブログの文章、ちょっと頭を冷やしながら書いてみる。

あと、周りの人への接し方。さっき歯磨きしながら「いま私の周囲にいる人のことを私はどれだけ分かってるんだろうか」ってふと思って。分かったような気になってレッテル張りしてないかなって。たぶんきっと分かってないことのほうが多いし、決めつけてかかってるかも知れない。

 

たまに「丁寧な暮らし」の言葉のあとに(笑)って付け足されて揶揄されてるの見かけるけど、丁寧な暮らしってつまりは「いつもやってる事を惰性でやって分かったような気にならないで、視野広げたり角度変えて改めて捉え直してやってみれば?」ってことなのでは。

 

まぁあんまりガチガチストイックにやると自分が逃げ出すから(苦笑)、ほんとに今この瞬間やってることをちょっと丁寧に、のイメージで。

 

自分の感度を磨く心がけをちょっとでもしておけば「こんな気持ちにまたなれるなんて」って思えることが増えるかもなって思った。

 

 

ああなんて真面目な内容だ!!ここに吐き出したから、明日は軽やかにできるようになってるといいなー!!おやすみ!!(雑)

 

 

 

 

 

 

運命さがし

昨日(8/24)、FM802で独占初オンエアされたマカロニえんぴつの新曲【運命さがし】。ドキドキしながらradikoで初めて聴いた。

 

聴き終わったあと、目の奥が熱くなってしまって、同時に温かくて幸せな気持ちになった。ほんとはすぐにツイッターに感想書きたかったけど胸につっかえちゃって、もうこの日はずっと聴いていようと決めた。最近夏バテ気味なので早めに寝るようにしているので、布団の上で寝ながらイヤホンつけてずっとタイムフリーで繰り返していた。口パクで口ずさんでみたけど、優しい言葉を言おうとすると涙が出てきてしまってだめだった。ライブの日までにはちゃんと歌えるようになっているだろうか。

 

 

「君がすき」その気持ちが素直に綴られていた。そこには喜びや戸惑いや恐れやいろんな葛藤があって、それでもなお繰り返しひたすらに「どうしたって君がすき」と歌うはっとりさんの声が素に近いような、かっこつけも飾り気もない声に感じて琴線に触れまくりだった。大ちゃんの鍵盤のメロディでまた泣いた。最後のみっちゃんのスネアの音が、2人が歩く道のりの続きを優しく導いているように聴こえた。まだまだ聴いて音をもっと見つけて感じたい。

 

こんな歌をいま届けてくれるなんて。マカロニえんぴつありがとうって伝えたいです。

 

「こんな気持ちに気づきたくなかった でも君がすき」の歌詞。気づいてしまったら、自覚してしまったら後には戻れない怖さ、失う怖さや傷つくかもしれない怖さ、それでもなお伝える「君がすき」という気持ち。弱さを抱える人間の想いの強さ。グッときてしまった…。

 

あと「愛の何たるかを語りたがる癖を 笑われなかったの初めてなんだ」の歌詞。もしこれがはっとりさん自身のことだとしたら、笑わずに聴いてくれる人はたくさんいるよ、だから安心してほしいって思った。(それはもう十分知ってるかもしれないけど)

でもこれを私自分に置き換えてみると、途端に弱気になってしまう。けど思い返してみる。マカロニえんぴつのライブの現場で、どんなに感情があふれてしまってもバカにしてくる人なんて誰もいなかった。大げさだったかもなぁなんて弱気になってるのは自分だけだよ。だから大丈夫だよ。っていま自分に語りかけてみる。

 

 

ふと、谷川俊太郎さんの詩を思い出した。「ほんとうに出会った者に別れはこない」という一節。

消えてしまったと思っても、ほんとうの出会いならばそれはもうずっと消えないものなのかもしれない。運命さがしは、ほんとうをさがす旅なのかもしれない。

なんて思った。

 

 

感情が溢れてまとまらない文章だー(いつものこと)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来週の自分へ手紙を書く

暇つぶしにSNSをいろいろ見ていたらとある投稿が目に入った。「週に一度、来週の自分に手紙を書く。書いたら読み返さない。ただ書くだけ。なりたい自分を書いて、見ない。そして翌週また書く。これは"意図を持って手放す"という行為で………」(その先は失念)

 

「未来の」じゃなくて「来週の」という設定がちょうどよくて面白そうと思った。それに過去の自分へ話しかけることはあっても来週の自分に話しかけることはあまり無かったと思う。先ほど手紙を書き終えた。(実は先週も書いたのでこれで2回目)

 

「書いたら読み返さない」というルールだけど、いまちょっと読み返している。来週への自分への手紙は期待と励ましと慰めと押し付けと説教で出来ていた。こうやって目の前の紙に書き出して可視化すると、私ってこういう人間なんだなぁと苦笑いしてしまう。そんなつもりじゃなかったのになぁ…

はじめは優しさのつもりが、だんだんと押し付けになっていく。楽しくて始めたことが、だんだん義務化して苦しくなっていく。

 

読み返していて気づいた。あぁ、読み返してたらまたこうやって自分に対して評価が始まるんだ。そんでまたひとり反省会が始まるんだ、めんどくさいな自分。

 

ちなみに先週は手紙を書き終えた直後に破いて破棄した。とてもスッキリした。笑

ルールでは一応「読み返さない」ことになっているけど、どうせ私は読み返すだろうから破って捨てるくらいが良いのかもしれないな。いま破いて捨てました。

 

「意図を持って手放す」ってこういうことなのかな?長く持ちすぎてると軽かったはずのものまで重く感じてしまう。それは本意じゃない。空に返すつもりで破棄する。マカロニえんぴつの言葉を借りるなら「空に埋めよう」てことかな、どうだろう。

 

手紙を破棄したからといって自分の中から思いが全て消え去ったわけではない。来週の自分への思いが余韻としてかすかに残ってる感じはある。それくらいで丁度いいのかも。

 

自分への期待または失望を、過剰なぶんだけ手放す。ニュートラルな自分でいるって難しいな。疑うことも信じ過ぎもしない、ていうバランス。常にどっちかに振れている。ルート16を真っ直ぐには運転できてなくて、実際は右往左往して進んでいるのかもしれない、なんて考えたりして。

 

なんだか一日の終わりに分析して疲れてしまった。笑

寝ます。

 

 

自分の形

「もっと自分の身体を信じなさい、頭ばっかり使ってないで」

と、人に言われたことがある。(もうだいぶ過去の話)

頭で懸命に考えた理想を無理やり身体に押し付けて動かそうとしていた。でも頭とは裏腹に身体は全然動かなかった。(そもそも頭も健全に作動していたとは思えない、いま思うと)

 

先ほどアニメ「ワールドイズダンシング」の3〜4話を続けて観た。観終わったあとの勢いに任せたブログはやめようかなぁと思いつつ書いている。別に間違ったこと書いても良いか、とちょっと開き直っている。明日にはまた別の思いが浮かびあがるだろうから、今日は今日思ったことを書こう。

 

1話を観たあと「白拍子の舞は人に見えなかった。人以外のものになりたいのか?」という感想を書いた。今思うのは、白拍子は馬になりたいわけでも鳥になりたいわけでも人になりたいわけでも無くて、ただ白拍子になりたかったんだと思った。あれは自分の形を掬いあげた舞だったんだと。

 

このアニメを観ていると「あなたはどう?」と問われている気持ちになる。

「私は自分の身体を全然使えていないし、頭でっかちだし、自分の形を外に探してばっかりだな。自分の形は自分の中にあると、まだまだ信じられていないんだ。いや、別に信じなくてもいいから、自分の中に潜って掬い上げることをもっとやったらいいんだよ」

と自分が自分に語りかけている。

 

今日久しぶりにひとりカラオケに行った。今日はいつもより声がスッと出て気持ちよかった。ここ最近はなんか「うまく歌おう」なんて力んだりして喉を痛めたり身体がこわばったりでダメだったんだけど。今日はただ、息を吸って吐いて、歌詞を話すように歌うようにした。それが良かったのかなぁ。

趣味のカラオケだけど、なんか自分のメンテナンスの一環みたいだった。今後カラオケの時間もうちょい増やそうかな。

 

鬼夜叉が「まぐわいはいいものだな」って言ってたけど、自分が自分とまぐわえばいいってことで、自分に落とし込めばいいかな。

 

よし書いた、寝よう

 

 

 

 

 

 

 

ミント

ご近所の方からミントをいただいた。庭先で育っていたものをまとめて刈ったものだそうで、たまたま出くわした帰宅途中の私に数本お裾分けしてくれた。仕事帰りのむさ苦しい私に突然の爽やかな贈り物。嬉しい。ありがたくいただき、気分よく家に入る。


さて…これをどうしようか。貰った時点で何も考えていなかった。とりあえずペン立てに水を入れたものにミントの茎を浸けた。よく見るとそれぞれ葉や茎の様子が違っている。ミントはミントでもそれぞれ違う名前のミントらしい。こっちの葉は尖ってるけどこっちの葉は丸みがあったり、産毛が生えてるのとそうでないものがあったり。


観賞用にすることにした。テーブルに置いたときの見映えもいいし。
しかしこのまま水に漬けておくだけで良いのかちょっと不安になったのでいちおう調べたら、水に葉が浸かったままだと水の腐敗につながるので、その部分の葉は切ったほうが良いとのこと。数枚のミントの葉が採れた。清々しい香りが漂う。この葉っぱどうしよう。


たまたま数日前に購入した耐熱ガラスの透明なマグカップが目に入った。これ使おう!水で洗った葉っぱをマグにワサっと入れ、沸騰したお湯を注ぐと一気にミントの香りが立ちのぼる。そこに適当な皿で蓋をして蒸らす。マグの中で葉っぱの緑がより鮮やかになる。湯が色づいてきた2〜3分後、蓋を開けて即席ミントティー完成。


お…オシャレだ……!我ながらオシャレなことしてるなと自分にびっくりしながらミントティーを啜り、ペン立てに生けたミントを眺めていた。

 


ふと中学生のころを思い出した。当時、鉢植えのミントを誰かから貰ったときのこと。「ミントは強いし育てやすいよ」って言われてた気がする。なのに結局私はそのミントをダメにしてしまった。「枯らしちゃダメだ」という思いが強すぎるあまり水をやり過ぎてしまったのと、気づいたらアブラムシがびっしりくっついてしまって、いろいろ対策したけど気づいたらミント自体がひょろひょろに弱ってしまっていた。結局、そのミントは大人が処分した。強いはずのミントを弱らせ自分で育てられずダメにした挙句、自分で処理すらできなかった。当時けっこう落ち込んでいたと思う。

 


いま私の目の前にあるミントの茎は力強くて太く、葉っぱにも張りがある。そして時間が経つごとに茎は角度を変えてどんどん光の方へ向いている。切られているとはいえ、生命力に溢れている。


別に私は過去の失敗のリベンジをしたいわけではないし、何より目の前のミントは私の過去など知ったことではない。ただ力強く生きている。


このミントを私はこれからどうしようか。とりあえず、このミントから根っこを生やしたい。水をこまめに換えていれば数日で生えてくるらしい。根が生えたら土に植え替えて、そしたらたくさん葉っぱ収穫できるかなぁ。
まずはやってみようと思う。

 


なんか今日は日記ぽくなったかな

 

人はなぜ舞うのか

アニメ【ワールドイズダンシング】の第一話を先ほど観終えて、茫然としてました。頭にガーーーンと何かをくらってしまって動けなくなってる。すごいアニメだ…。よい…。

マカロニえんぴつファンの私はもちろん、マカロニえんぴつが主題歌というきっかけで初めてこの作品に触れたんですが。なにか「この作品に触れちまったら最後」感がすごい。

この後0時に主題歌【終宵】が配信リリースされるので、その前にいまの感想・感情を吐き出さねばと思って急いでここに書き残す。

 

 

人はなぜ舞うのか?という問いかけ。

馬は速く走るためのかたちをしている。鳥は飛ぶためのかたち。では人間は?人間は、舞うためのかたちをしていない。

では、鬼夜叉が白拍子に導かれてたどり着いた小屋で見たあれは何?何のかたちをしている?人らしき塊が伸びて飛び跳ねて、まがってくねって、一本の線となり影となり、、、あれは人か?私には人のかたちには見えなかった。

人はなぜ舞うのか。

人じゃないものになりたいから?

人が舞うためのかたちは、人では無い?

 

「頭(かしら)が舞うと、世界が変わる」と石也は言った。鬼夜叉と一緒に遊んでいるコガネは「みんな世界に飽き飽きしているんだ、踊らないとやってられないんだろ」と言ってた。人はなぜ舞うのか。別の世界に行きたいから?

白拍子を目撃して走り去る鬼夜叉と同じ感想で「何もわからない」って私も思った。

 

私はアマプラで観ていたので、本編のあとにマカロニえんぴつの【終宵】がOP映像とともに流れた。頭がチカチカして、音楽と映像と筆の文字が入り混じりながら、全部が舞のように私に飛び込んできて、ちょっと頭がぐるぐるしている。

 

ぐるぐるしながらも頭のなかで確かにチカチカしている「よい」を、見失わないで。それがはっきり何かわからなくても、誤魔化したり覆い隠したりしないでね。と自分に言い聞かす。