サリーのほら穴

いちマカロッカーがひとりごとを綴るブログ

だれもわるくない

【忘れたの?こぼれた「生きたい」だけで咲いた花だってこと】

この歌詞で思い出したこと。(暗いので苦手な方は読み飛ばしてください…)

 

 

10代の終わりくらいか20代のはじめくらいの頃、「この世から消えたい」と思っていた。「死にたい」ではなく、「消えたい」。

自分だけの狭い世界で勝手に切羽詰まっていただけといえばそれまでなんだけど、生きてるだけで苦しかった。人ともうまく関われなかった。精神的にかなりバランス崩してた、今思えば。

 

あまりにも切羽詰まりすぎていた。その時のちっぽけな自分の脳みそで「いったい自分はどうしたいのか」を考えるしかなかった。

 

「消えたい」のその先の想いはなんなのか。死にたいわけじゃない。消えたいって何が?→今の自分が消えたい→今の自分が消えたらどうしたいの?→生きてるだけで苦しくなってる自分が消えたら、楽になると思う。楽に生きたい。→生きたいんだよね?→生きたい。

 

生きたい。苦しいまま生きると消えたくなるから、楽な気持ちで生きたい。

 

でもどうやったら楽な気持ちになるのかさっぱり分からなくて途方に暮れた。笑って生きてる自分が全然想像できなかった。具体的にどうしたらいいのかわからなかった。

 

けど、あぁ、とにかく私は生きたいんだ。それが確認できただけで、苦しさはさほど変わらずとも少し落ち着けた。

生きたい、ということ以外何も見出せずだったけど、生きたいんだな、と思えた。

 

【だれもわるくない】の歌詞を読んでいたら、その時の自分にかすかな光が当たった気がしました。

 

 

※その後いろいろ試行錯誤の末、いま現在はだいぶ楽に生きられてます