サリーのほら穴

いちマカロッカーがひとりごとを綴るブログ

大人の涙

「他人の痛みを感じて流れる涙こそが大人の涙だと、強くおもいます。」

(マカロニえんぴつの新曲「だれもわるくない」に寄せたはっとりさんのコメントより)

 

はっとりさんの言葉を見たり聴いたりしてると、水面に小石を落とされて気持ちに波紋が広がるというか、揺さぶられてしまうというか、自分に照らし合わせてつい考えてしまう。

(これは私がマカロニに入れ込んでるせいなのではっとりさんは1ミリもわるくない、当たり前だが)

 

(ちなみに新曲「だれもわるくない」はまだ聴いてません。聴く前にコメントを読んで脳内に思いがグルグル巡ってしまったのでここに投下する)

 

 

私、マカロニのライブでは完全に自分のために泣いてる。誰かの痛みではなくて自分の痛みを思い出して泣いている。他人に想いを馳せることができるのが大人なら、ライブ中の私は完全に子どもになっている。子どもに戻って、子どもの頃泣けなかった分まで泣いている。気の済むまで。

 

いままで自分の気持ちを無視することが習慣化してて、自分の気持ちがわからなくなっていた。自分に鈍感だから尚更他人の痛みがわかるはずが無くて、実際に日常で支障が出た。

 

だから自分の心の土壌を耕すことは自分にとって大事なことというかリハビリだと思ってるし、放っておくとすぐにガチガチに固まる癖がある(過去の習慣の呪い)

 

身体はいい歳なのに、心は未熟な子どもなんだなぁって感じました。

なんかもっと、人に優しくなりたい、本当の意味で。

 

追記・大人だから良い、子どもだからダメ、という話ではなくて。ただ自分自身を確認したかった。