サリーのほら穴

いちマカロッカーがひとりごとを綴るブログ

辛かった過去の意味

(今回の内容、個人的に自分の中にとどめておくのがしんどいので、自分の外側に晒してちょっと頭の中休ませたいと思いブログに書いてます。)(読者の方ほぼいないと思いますが、もし読んでる方がいたら「相変わらずナルシストで暗いな」ぐらいに思ってくれたらいいなと思います、、)

 


過去の意味なんていくらでも変わる。

あの頃の辛い経験は、私にとってどんな意味があったんだろう。

 


私は10年以上前、2年間だけ東京で生活していた。私は心身ともにかなり荒んでいた。
東京から地元に帰ってきてからも数年は、荒んだまま引きずっていた。


しばらく経ってからは「あの辛い経験を乗り越えてきたから今があるんだ、辛いことを経験して良かった」と思っていた。東京の傷から回復したと思っていた。辛い経験はちゃんと今の私を成長させてくれたんだって。


さらに数年経って、今思うこと。今の正直な気持ち。


別に辛い経験なんかする必要なかった。普通に、ただただ辛かった。自分を必要以上に痛めつける必要なんかなかった。「あの辛い経験が自分を成長させてくれた」なんて、無理矢理美化させようとしたけど、辛い経験はただ辛いだけだった。


乗り越えてなんかいない。常に体調悪くてメンタルも最悪で、感情を殺しながら、それでも死ななくて抑え込んでも漏れ出てくる感情に苦しみながら、日々がただ過ぎ去るのを耐えながらやり過ごしてやっと終わった東京生活。
途中で東京生活を止めるという退路を絶っていたから、途中でリタイアしないと決めていたけど、終わってみたらボロボロになっていた。
自分のキャパシティ以上のことを無理矢理自分に課して、とっくにギブアップ状態だったけどズルズルなんとか生き延びてきただけ。


やっと普通に、あの東京での日々を後悔できるようになった。後悔している。


キツい思いをしなければ周りに認められない、自分をこんなに痛めつけてるんだから誰か私を認めてくれ、許してくれって思っていた自分のこと、死にたくはないけど消えたいって思っていた自分のことを、美化したくない。


美化はしないけど、おつかれさま、もうそんなことはするなよって言ってあげたい。
後悔してるけど責めたりしない。


後悔できるようになってやっと本当の意味で、あのとき東京で私に関わってくれた人たちにごめんなさい、ありがとうございましたって言えるのかもしれない。

 

そういえば、「辛かった過去の意味」ってタイトルだった。

意味なんか無理矢理つけなくていいや。