サリーのほら穴

いちマカロッカーがひとりごとを綴るブログ

なにもなくても

ブログ書いてみる。

 

何か特別なことが無いと、何かが起こらないとブログ書いちゃいけないっていう決まりは無いのになぁ。いつの間にか自分でブログ書きづらくしちゃってるね。ここは自分の息抜きの場所だったはずなのに。

 

本当は何もないなんてことは無くて、毎日何かしら思ってるし考えてる。「あ、これ、ブログに書こう」と思った瞬間に書けばいいんだろうけどそれが出来なくて、一日たてば前日に頭に浮かんでたことは鮮度が失われていて、今日の考えは今日限りの鮮度で浮かびあがってきて、次の日には次の日の考えが出てきて…

 

結局いま思ってることをいま書くのがいちばんなんだ。

(だから本来はライブレポは苦手の部類で、最近は振り返りの感想になってる。新鮮な感情はTwitterにぶつけがち)

 

マカロニえんぴつの新曲【月へ行こう】を、さっきまでずっと繰り返し聴いていた。聴いてるうちに「嵐の番い鳥の2人がこんな景色を見ている世界線もあるな」って思えてきた。

(“嵐”とか“羽”ていうワードからふと連想した)

バイオレットではなく白い世界線

 

私はどうしても無意識に物事を重く重く捉えがちで、別に重くても良いとは思うけれども、自分が歩けなくなるほどの重さで地面にめり込んで、それで終わらすの、何だかもったいないなぁって思えてきて。

 

重さは強さだと思っていた。でもそれは自分自身をうまく使いこなせていればこその話じゃないか?

強い心より軽い言葉を持って、ためしに飛んでみたらどう?ってマカロニえんぴつが言ってくれてるような気がする。

たましいの居場所でもきっと、そういうメッセージをくれていたというか受け取っていたと思うんだけど。私が忘れっぽくて分からず屋、もしくは怖がりなんだと思う。音楽は常に私をノックしてくれてるのになぁ。

 

マカロニが言う「軽い言葉」は信用してる。だってマカロニ自身は軽くないから。軽くないっていうか、スカスカの中身の無いものでは決してないから。ファンの見えないところでたくさん大変なことはあるだろうし、音楽を生み出すためにいろんな試行錯誤があるだろうけど、重さを感じさせずに軽やかに手渡してくれるかんじ。

(重たいものをそのまま渡されるのも好きではあるが、私に心の腕力が無さすぎるときは共に地中に沈んで地上に戻れなくなる。笑)

 

信用してるなら、受け取るだけじゃなくて、ためしに使ってみたら?わたし。