サリーのほら穴

いちマカロッカーがひとりごとを綴るブログ

映画『百花』観てきた(ネタバレあるかも)

自分が今まで目にしてきたものや聞いたもの触れたもの、味わったものや嗅いだものは全て脳みそに記憶されている

…というような話をきいたことがある。

 

脳みそには記録されてるんだけどそれを自分が思い出せるかどうかは別の話で、

自分がどれを思い出せて、どれを忘れられるのかなんて、どこまで自分でコントロールできるんだろう。きっと出来ないよな。

 

 

「自分が何を覚えているか」だけじゃなく、「自分が何を忘れているのか」ということも、自分という人間を形作っている大事な要素なのかなって思った。

 

自分が忘れていることって、ある日突然他人が持ち出してくることがある。

自分にとって取るに足らなすぎて忘れてしまっていたとしても、自分に関わってる人が覚えていて、それを後で聞かされてビックリしたり。改めて自分という人間に気付かされたりする。

 

 

主人公のお母さんが認知症になっていろんなことを忘れていくなかで、それでもお母さんの中に残っているエピソード。当の息子は忘れていたけど、途中で思い出して、同時に母親の自分に対する思いを感じることができた。

 

目の前にいる人は「お母さん」でもあるけど、ひとりの女性、ひとりの人間であって、それを踏まえて関わりを持つということ、、、

 

親と子だけど、人間と人間でもある。

 

 

ブログ書いてたら頭から煙でてきた。寝よう….