サリーのほら穴

いちマカロッカーがひとりごとを綴るブログ

マカロニえんぴつの『hope』

マカロニえんぴつの曲はどれも甲乙つけがたいくらい好きです。ノリがいいやつだったり、心に沁みたり、いろんなタイプの曲がありますが

特に心を打たれた曲が『hope』。

 

ヤングアダルト』が人生の最も暗い夜の底の部分を歌っているとしたら、『hope』は午前〜昼間のイメージ。13月だから、気候的には1月かな?

東京の1月って冬のなごりがありつつも、春の兆しを感じるイメージがある。

(私は北海道在住で、たまたま1月に東京行ったら梅が咲いてて暖かく感じた)

 

前奏から1オクターブ高い「ベランダから春がさした」の歌声で、窓から差し込む柔らかい春の陽射しの情景がバーっと浮かんだ。

 

窓の外の明るさに目を向けてはいるけど、「何故だろう変われない」って歌ってる。12月の冬を引きずってる。ていうか去年をまだ引きずってるのか。水曜日を寝潰しつつ、幸せの削りカス集めてる。

(柔らかな嘘って表現が、春の季節感も感じて好き)

 

「手を繋いでいたい、手を繋いでいたいのだ」

このサビ。

「繋いでいたーーーーい」の部分ではっとりさんの声のびるとこで泣いた。

手を繋ぎたいと願うってことはつまり、手を繋ぐことが難しかったり、繋げても離れやすかったり…当たり前ではないってことだよね。

当たり前ではないから願うんだ。

 

手を繋いでいたいと願うこと。手を伸ばすこと。その姿そのものが希望なんだと思った。

 

MVの、サビのところではっとりさんが金網ごしにぴょんぴょん跳ねてて、それがもう希望を渇望してるように見えてしまって、胸がかき乱された。

 

金曜日にゴミ出ししてるところ。

停滞しているようでも、寝潰した水曜からは時は確実に進んでいる描写で好き。

進んでいるというより、ただ時が流れているだけなのかもしれないけど。

 

悲しみのスタートラインが揃わない、口癖真似しても君にはなれない。

なぜなら違う人間だから。

でも、違う人間同士でも手を繋ぎたい、違う人間だからこそ手を繋ぎたい。

僕らは結局それぞれ違う人間だけど、それでも好きだって伝えたい。違うからこそ好きだと伝えたい。

手を繋ぎたい。

 

この曲聴くと、歌詞に自分の想いが乗っかってもうなんか胸がいっぱいになってしまう。

 

あとこの曲のテンポが良いんですよね。歩いてるイメージ。アウトロのよっちゃんの弾き倒しまくってるギターがフェードアウトしていくのも、この先ずっと歩いていくんだよ、って感じがして好きです。

大ちゃんの鍵盤のイントロも好きだし、間奏部分のパートも好きだし。

 

停滞してても変われなくてもそれでも歩みは続いていく、手を繋いでいたいと歌う。

この曲大好き。

 

(語彙力尽きて終了)

(もともと尽きてるけど)

(愛情表現が「好き」しかない)

 

 

(はっとりさん大ちゃんの回復を祈っています。)