映画観たあとにスマホに書き残したメモ、ひとまずそのまま載せてみる。
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いまはいま、今度は今度
私はどっちの世界にいるの?
川、海へ続く
川と海の混じり合う部分
変わらないなんてそんなはずはない
フィルムに日々を焼き付ける
影と影を重ねる
二つの世界は交わらないの?
交わらなくても触れることはできる、同じ空間と時間に存在している
影が重なりあう
変わらないなんてそんなはずない
住む世界が違う同士が触れ合う瞬間、影が重なり合う瞬間
平山さんと接して何か(自分と共鳴するもの)を見つけて持ち帰る、カセットテープや本
平山さんはきちんとしてる人
泣き笑い
この生活を自ら選んだのか、選ばざるを得なかったのか
木漏れ日の中に何をみるか
木漏れ日の一瞬をおさめる、シャッターを切る
平山さんが手放したもの、手にしたもの
彼が何に傷ついたのか
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PERFECTDAYS、2回観たのですが、「変わらないなんてそんなはずない」って2回メモってますね…
毎日がルーティーンの日々のようでいて、実は一瞬一瞬違っている。同じ日なんてない。過ぎ去った今この瞬間は二度と戻らない。平山さんがカメラで撮り続けている何枚もの木漏れ日の写真は、そういうことを表しているんだと思う。
「この世界は繋がっているようでいて、実は繋がってない」「あの人とは住む世界が違う」というニュアンスのセリフがあった。
私は今まで何となく「考え方や生きる環境が違っても同じ空間に存在したり会話したりできるなら、それは世界が繋がってるってことじゃないか」って考えを持っていたんですけど、まぁ確かに「この人とは住む世界が違うなぁ、、」って思うこともある。
だいぶ前の自分のブログに「極夜の北極と自分は断絶されているようで確かに繋がっている」というようなことを書きました。地球という括りでは繋がっていると言えるけど、まぁ冷静に考えたら極夜の北極に私が行くことはほぼ無い。断絶されているといえばされている。私がいま生きている世界とはまったく違う世界。
けど、違う世界で生きるもの同士がたまたま隣りあって、混じり合いはしなくても触れ合うことはあるんじゃないかって思ってる。世界と世界が触れ合って、影と影が重なっても濃くはならないかもしれないけど、触れ合った部分から瞬間的にでも何かが生まれるかもしれないんじゃないか、って。生まれたものは自分を揺らすざわめきかもしれないけど。
最後のシーン、平山さんの表情、何とも言えない気持ちになった。
パーフェクトデイズ。完璧な日々。満ち足りた日々?いや、きっと時々欠けたりほころびたり、それを修復したりしながら生きていく日々。みたいな。
自分はどうだろう?って考える。私は木漏れ日の中に何を見てるのかな。
観て良かった映画でした。
追記・平山さんが通ってる浅草界隈、ちょうど私がこの前東京旅行でキャリーケース持ちながらウロチョロ道に迷ってたところだったので、なんか嬉しかったです。