久しぶりにここ(ほら穴)に戻ってきた。
最近慌ただしく過ごしていて、日々思うことは有るには有るんだけど別に取り留めないことだし、ここに吐き出すほどのことでもないなって思って、ササっと頭から払いのけていた。
でも払いのけたものは頭の隅っこにしっかり溜まってました、消しゴムのカスみたいに。気づいたら若干キャパ溢れそうでした。
キャパオーバーしそうだな、もしくはキャパオーバーしてたな、って気づくのは、例えば何かの出来事にやたら傷ついたりやたら感動して涙が止まらなくなったときで、「あれ、私けっこういっぱいいっぱいだったのかも?」ってハッとする。
おととい、マカロニえんぴつのはっとりさんが自身の名前の由来である『服部』という曲を本家ユニコーンの演奏で、本家と同じステージに立って堂々と歌っていた。自身の憧れの存在の目の前で。私はそのライブ会場にいた訳ではなく、全てTwitter越しに情報を得ていただけなんだけど、それでも物凄いインパクトだった。
3月の大阪城ホールのワンマンライブのMCではっとりさんは「憧れた自分になってくれ!なりたい自分になればいい」と語っていて、おとといのステージでそれを体現していた。めちゃくちゃかっこいいと思ったし、はっとりさんの生き様かっこいいです、ってTwitterにも書いた。
ほんとは「かっこいい」なんて一言で語ってしまってはいけないのかも知れない。本人にしかわからない、決してかっこよくは無い、綺麗でもないぐちゃぐちゃな状況をくぐり抜けてきたのかも知れない。(それすら全て想像でしかないですが)
でも、いろいろ考えてやっぱり「生き様カッコいいです」としか言えなかった。
私自身の憧れについて考えた。
私、好きな漫画家さんがいまして。その方の描く線とか漫画の世界観が好きで。いつか私も、自分の線で、自分の世界をイラストにして表に出してみたいです。そして出しはじめたところです。
ただ、私の画力が全然追いつきません。すぐ疲れてしまうし体力もありません。「そんな役に立つか分からないことに時間使ってどうするんだ」という意地悪な別の自分の声に長い間耳を傾けてしまい、気づいたらいい大人と言われる年齢になってました。バカだな。
でも、いい大人の年齢になってからマカロニえんぴつに出会ったから。憧れを口に出してみることは決して悪いことなんかじゃないと、この年になってやっと信じ始めたところだから。
その漫画家さんも「漫画は憧れを描くもの。」って、最近買った漫画のあとがきで書いてた。これもう決定打じゃん。
死ぬまでにできるかな。いや多分死ぬ間際まで永遠に途中なんだろうな。憧れは死ぬまで憧れかもしれないけど、距離は埋まらないかもしれないけど、それに向かって歩き始めることぐらいは出来る。
もう誰かに認められたいとかあんまり気にしすぎないようにしたい。役に立たないことはしてはいけない、とかもう思わなくていい。自分のいま持ってる気力と体力で続けていけるようにしたい。
亀の歩み。
追記:ちなみに漫画描きたいわけではないです、ストーリー考えられないから。今はマカロニ関連の絵描きたいです。